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キンキン@ダイコク堂

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岸田今日子さんの思い出
17日に岸田今日子さんがお亡くなりになっていたことが、本日(20日)報じられました。私は、2002年11月2日、山中湖村の三島由紀夫文学館で開催された三島由紀夫フォーラムで岸田さんの講演をうかがい、閉会後のパーティで席を並べて親しくお話を伺う機会をもちました。

岸田今日子さんは劇作家・岸田國士のお嬢さんで、若き三島由紀夫と接しました。北軽井沢?の別荘に集まる作家たちの一番若手が三島で、その明るい人柄もあって兄のような気持で親しく接したそうです。文学座の舞台に立ち、三島が演出した「サロメ」で主役を演じるなど、三島演劇を語る上で欠かせない女優でした。

ところが、昭和38年に文学座の分裂騒動が起こり、岸田さんは福田恒存・芥川比呂志らと文学座を脱退、劇団「雲」を作ります。このとき、岸田さんは三島が当然いっしょに脱退するものと思い、その旨を確認して脱退に同意したそうです。ところが三島に集団脱退は伝えられておらず、三島は文学座に取り残される形になりました。

岸田さんは三島と電話で話をし、「なぜ来てくれなかったのか」と問いただしたそうです。三島は「双頭の鷲は成立しないんだよ」と答えたそうです。つまり、文学座の両輪を担う作家であった福田恒存との関係からのいきさつであった旨を岸田さんに話したそうです。三島作品に出演することを生き甲斐にしていた岸田さんは悲嘆に暮れたそうです。人の運命というものの残酷さをかんじさせる話でした。(その後、岸田さんは三島の演出で「サロメ」の舞台に立ったと記憶しています)

私が個人的にうかがったことはあまりよく覚えていませんが、印象に残っているのは、岸田國士が三島の演劇をどのように見ていたのかという点。これについて、岸田さんは、「父は、三島さんに限らず人の作品についてなにかを言う人ではありませんでした」とお答えになりました。

そのとき、私が午前中の講義で使用した「潮騒」の文庫本にサインをお願いしました。「潮騒」と岸田さんってとくに縁はないんですけどね。翌週、学生にみせたいといったらこころよくサインしてくれました。この本は私の折に触れての考察があちこちぐちゃぐちゃにメモされ、カバーは取れ角は円くなっておりますが、もう書き込みも止めます。岸田さんがお亡くなりになる前日の16日、私は「潮騒」で学会発表をいたしましたが、そのとき壇上にもって上がったのがこの本でした。

サインののち、一緒に写真に収まってくれました。私より心持ち後ろに立ち、控えめにポーズを取る岸田さん。私の腕に岸田さんの体が触れたときの、あたたかでやわらかな感触は忘れられません。気品と艶、そして謙譲の美徳を漂わせた、生粋の貴婦人でした。

岸田さんは昨年、行定勲監督の「春の雪」に出演しました。私はよく知らないのですが、あれが最後の映画出演だったのでしょうか。だとしたらよいのですが。


それからこの日は、青島幸男さん、カンニングの中島さんがお亡くなりになりました。妻はかつて「いじわるばあさん」の大ファンで、カンニング中島は35歳ということは私より若い。竹山がキて、中島さんがなだめに回っていくうち、ついに中島さんの堪忍袋の緒が切れ、突然キレに回っていく、あの芸は結構好きでした。なかなかにショックな一日です。

ご冥福をお祈りいたします。

ブンガク/ミシマ | 00:24:35 | Trackback(0) | Comments(6)
コメント
青島ー岸田ー中島の3連続コンボはきつい。orz
(芸スポの速報スレが10分で落ちますた)

山中湖で岸田さんにサインもらっとくべきでしたな。_| ̄|O
まあ生前のお顔をじかに拝見できただけでもよかったのかも。
2006-12-21 木 01:09:26 | URL | YY [編集]
僕は、ムーミン童話が大好きで、手塚アニメのムーミンも好きでした。岸田今日子さんと衿子さんは、絵本や児童文学にも造詣の深い方で、文学・詩・舞台芸術をぴしっと一筋の芯を通してつなぐ芸術家のしなやかさが魅力でした。岸田今日子さん、美しい方でしたね。
2006-12-22 金 01:46:04 | URL | 白頭庵 [編集]
 先日の発表でご一緒した京都のとと丸です。さっそくお邪魔しました。
 岸田今日子の死はショックでした。勅使河原宏監督作、特に「砂の女」は岸田今日子抜きには成立しなかったと確信させます。訃報を聞いたとき、冗談でも何でもなく、彼女の体がさらさらと砂に還っていくようなイメージを想起しました。
 青島幸夫も残念です。いまだにクレージーキャッツのファンなので、「スーダラ節」や「ホンダラ行進曲」の作詞者が逝ったというのは、高度成長期の象徴が去っていったことのようにも感じます。(モーニング娘。の歌詞に、青島の崩れた亡霊が見え隠れするのは私だけでしょうか…)
2006-12-22 金 11:51:54 | URL | とと丸 [編集]
とと丸さん、こちらでははじめまして。ダイコクブログ。へようこそ。またご一緒に仕事がしたいです。

そうでした、岸田さんと言えば勅使河原映画、そして「砂の女」ですね。
ムーミン、砂の女、サロメ、そして富士真奈美や吉行和子とのトークでみせたおばちゃんぶりと、実に多面的な、そして魅惑的な女優でありました。

青島さんはまさにおっしゃるとおり高度経済成長の時代の匂いを私(物心付いたのがオイルショックだった私)に教えてくれた希有の才能でした。モーニング娘。のお説は考察してみる価値があるかもしれませんね。
2006-12-22 金 21:59:48 | URL | キンキン@ダイコク堂 [編集]
 青島=つんく説というのは何となくそう感じますね。

 橋本治がクレージーキャッツが忠臣蔵をやると聞いたとき「もうダメだ」とおもったそうですが、私もモー娘。がひょっこりひょうたん島を忠臣蔵をやり出したとき同じ印象を持ちました。  
 つんくは、アイドルオタクであった小室で邦楽から離れた人たちを再び引き寄せたんだそうですが(モーヲタは30代40代ばっかりでみんな異常なほどサブカルと洋楽に詳しいらしい)、その辺でも音楽とアイドルと喜劇の結合体であるクレージーと重なっているのかもしれませんね。

 小林信彦が「クレージー王朝の治世」を書いたようにモー娘。王国の治世と崩壊を誰かが書くべきなのではないですかね。

 岸田今日子はサロメや砂の女、岸田國士の娘、文学座の分裂劇といったところよりも、「傷だらけの天使」や「ムーミン」の中の人、そして「ごっつええ感じ」やとんねるずの番組での怪演で記憶されていて、その意味でも多面的ですね。2CHの追悼スレはそんな書き込みばっかりだった。
丹波哲郎といい、本当の良家の育ちの大俳優は人間が大きくて余りこだわらないのかもしれませんね。(ちょっとTVで売れただけで天狗になる自称女優とかが多い中w)
2006-12-22 金 22:12:20 | URL | YY [編集]
ありがとうございました
抜刷、ありがとうございました。私は26日に戻りますので
とりあえず次回作?は実家にお送りください。
私の次は4月に出る予定。
2007-02-16 金 08:21:39 | URL | YY@実家 [編集]
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