投稿日:2007-09-29 Sat
9月30日は牛久市長選挙です。私が住んでいる牛久では、今年3回の選挙がありました。市議選と国政選挙の参議院選、そして明日行われる牛久市長選挙です。最近では自民党の総裁選挙なんてなものもあって、選挙イヤーな感じです。もっとも、最後の自民党総裁選は私には投票権はありませんが(茨城県は予備選挙やらなかったのかな?)。
自民党の総裁選挙を見て、明日投票に行く牛久市長選挙のことをどうしようか、なんとなく考えました。以下、つらつら考えたその思考過程を自分への覚え書きとして記しておきます。
3世のセレブに属していた安部晋三氏が政権を放棄したとき、自民党総裁選に出馬したのは、麻生太郎氏と福田康夫氏でした。ともに総理大臣の子孫であるという点において、この3者が特権階級に類する人であることは疑いの余地がありません。戦後60年経って、格差が固定化した今日、2世や3世でなければ総理にはなれないでしょう。それはくやしいけれども事実であるようです。
その一方で、この両候補の間には明瞭な差異が存在します。それは、麻生太郎氏が麻生財閥の御曹司として若くして経営者であったことと、福田康夫氏には元々政界に入るつもりがなく、サラリーマン生活を送っていたことです。その違いは、両者の政治手法の違いとして、また印象の違いとして反映されています。
一般的に、総裁選に勝利した福田氏の手法は対話を旨とした調整型であるといわれます。北朝鮮政策に関して、それはこれから典型的に現れるでしょうが、民主党との妥協を強いられる局面において、その手法が有効に作用すると自民党内で考えられたための勝利だったのでしょう。それは、福田氏が石油商社で対外交渉の仕事をしてきたサラリーマンであったことと無縁ではないでしょう。
一方の麻生氏は地方票を多く獲得し、善戦しました。彼の応援を買って出ている人たちの中には、およそ自民党員とは思えない若者たちが多く含まれています。漫画好きで「オタクのみなさん!」という演説が心を惹きつけたからだというのがもっぱらの評判ですが、それ以上に、彼がどちらかというと独断専行型の経営者タイプで、構造改革主義者であることと関係があると思います。
この、経営者タイプで構造改革主義者というありようのなかに、私はある種の危険を感じます。
構造改革とは何か。それは規制緩和のことです。
護送船団方式から自由競争へ。新古典主義経済学に立脚したアメリカ型の経済社会への転換を図ったのが小泉純一郎元首相でした。しかし、規制緩和は自由競争であるという点において、明瞭な欠点をもっています。それは、経済万能の弱肉強食社会を生むというところです。竹中平蔵氏をはじめとする小泉ブレインは、それを是としました。なぜなら、新古典主義の経済は、人間が金の亡者でどうしようもないエゴイストであることを認め、そのモデルにしたがって理論を構築し、そのエゴイズムが生み出すお金によって税収を支えようと言う発想が根幹にあるからです。その結果、国の税収は上昇しましたが、収入格差は拡大しました。
そのような発想の中で、居酒屋チェーンや人材派遣会社の社長等によって教育再生が叫ばれる。経済の分け前を渡すことなく、「愛国心」や「奉仕の精神」といった忠誠心を教育によって徹底させようと言う、これはまさに金の亡者のエゴイズムにほかなりません。
このような実例を踏まえて考えれば、首相候補をはじめとする行政の長の立候補者が「経営者感覚」を売り物に「構造改革」を主張するのは「経営者」でないすべての人にとって極めて危険であるということがいえるように思います。上記のようなエゴイズム経済においては、自らの利益を高めることがすべてに優先し、それは「構造改革」というお題目の下に是認肯定されるからです。
麻生氏や小泉氏に話を戻せば、彼らの「構造改革」を支持したのは若い人ではなかったか、という反論があると思います。つまり、格差社会において多くの「負け組」に属する人たち。それは、彼らの「構造改革」が敵視し、つるし上げの対象とした「官僚」や「郵便局員」といった人たちが、ワーキングプアーや契約社員にとって、目の前の敵であったということと関係があると私は思っています。多くの人々が、郵政民営化に諸手をあげて賛成しました。民営化されても、自分たち自身にとっていいことはほとんどなにもないということがわかっているにもかかわらず、です。明後日から、郵便局の振り込み手数料はびっくりするほど上がります。貯金の全額保護も国の保障が無くなります。簡保しかり。なにしろ、民間の銀行や保険会社になるのですから。
そこに、「敵の敵は味方」という不思議な論理が働いていたと私は考えます。
つまり、
「いままで親方日の丸で安泰だった官僚や郵便局員を俺たちと同じ不安定な地位にまで落としてくれた構造改革万歳!」
というルサンチマンというか、目の前にいる幸せな人の足を引っ張りたい、という下流志向がそこにはあったのではないか。
ほんらいならば、「彼らと同じような安定と休暇を俺たちにも!」と叫ぶべきなのです。なにしろ、現在の日本はエゴイズム経済の社会にあるのですから、その程度のエゴイズムは許容されるべきだと私は考えます。
このようなエゴイズム経済の社会に変貌した日本ですが、構造改革に対する疑念がひろまってきたいま、まだまだ中流のサラリーマンが多い日本においては、福田氏が当選するのは当然と考えます。しかしそのときに、下流に属する人には、自らの立場を代表してくれる人がいまの国会にはいない。そのとき、「敵の敵は味方」という論理が前面に出てくるのです。
しかしその発想は根本的に間違っています。なぜなら、ごく一部の勝ち組と大量の負け組を作りだし、富の集中を図ったのは、サラリーマンや公務員ではなく、勝ち組とその利益を代表する「構造改革」主義者なのですから。
「政府が景気回復したと認定した2002年から今日まで、「構造改革」の名の下に日本経済は大きく変わりました。GDPは5年間で約22兆円増え、一方、サラリーマンなどに支払われた報酬は約5兆円減少しました。」 (森永卓郎さんによる)
この事実だけでも、真の敵がどこにあるかわかると思います。そして彼らは、一般市民の内部分裂につけこんで福祉・医療の切り捨て、一般人向け増税、給与切り下げなどを行う一方、法人課税や株式売買の所得に対する減税などを行ってきました。中流以下で足の引っ張り合いっこをしている場合じゃないです。
さて、そういうときに投票行動をどうすべきかということですが、簡単な話が、「今の自分に近い立場・境遇の人」に一票を入れるというのがよいと考えます。自分が経営者か、サラリーマンか、契約社員か、ワーキングプアーか、ニートか。その立場に近い人はだれか。
上記のように、この格差社会においては政治家も含め殆どの人間がエゴイズムにしたがって動いています。だとすれば、「今の自分に近い境遇の人」に権限を与えておくことが「今の自分」にとってもっとも有利に働くのではないでしょうか。問題は、契約社員やワーキングプアーの立場を代表し、大きな影響力をもつ政治勢力が今の国政にないことです。 でもそれも「今の自分に近い立場・境遇の人」に対する投票をみんなが心懸けてくれれば、いずれ、と思います。だって格差社会の勝ち組なんて、本当に数は少ないんだから。収入に寄らず一人一票というのが民主主義社会における選挙の原則です。
さて明日。
現職候補は「経営者感覚」を自らの売りにし、契約社員への切り替えを図ったり、夏休みを取り上げたりしているようです。私は、この施策は先程述べた「敵の敵は味方」的な効果を狙った選挙対策だと考えています。そして、このような施策が結果として働く人に大きな格差を生むこと、今の私自身の境遇が契約社員に近いことは、現職候補に対する大きな否定材料です。
それから、いま争点化されている現職の職員に対するパワハラ問題。暴言を吐き、言うことを聞かせようと言う手法が、優れた「経営者」の姿とは私には思えません。暴力で強いられても人は創造的な仕事などしません。職務怠慢など困った実態があるのでしたら、それを上手に矯正し、ボウリング部を創設するなどして(´∀`)誰もが気分良く楽しく働ける環境を整えて、生産効率の向上に導いてゆくのが真の「経営者感覚」だと私は考えます。
まあそんな風に考えて明日は投票に行きます。
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