投稿日:2006-04-19 Wed
先週から各学校で講義が始まり、今週はいよいよ本題に入りました。今日は午前中をTB大で、午後3時からはまさかのかさま市の看護学校に移動です。
私はいつも国語関係の2時間目を「辞書を活用する時間」に当てています。
私たちがある本を「難しい」と思うとき、実はその言葉遣いが難しい場合が多いようです。とくに、大学や専門学校で用いる教科書は、どうしても肩肘をはった文章が多く、それが書かれている内容そのものを「難しい」と感じさせます。
英語の読解問題で、10行の文章に対して2〜3コ分からない単語があっても前後の文脈から内容を把握することはできますが、それが仮に10コ(1行に1コ)あったらたぶんお手上げだと思います。日本語で書かれた文章もその点はまったく変わるところはないのですが、母語である日本語で書かれているため、なんとなく先へ進んでしまう。しかしなんとなくわからない状態が続きますので、行が進むほどに頭の中の「?」の度合いは大きくなっていき、ついに何ページか進んだ時に「つまんね。」という判断と共に本は投げ捨てられることになります。
この状態、他の本ならば好みの問題として諦めることもできますが、教科書の場合は非常に困ります。その講義、ひいては学問に対する苦手意識を生むことになります。とくに高度な専門性が求められる看護学校の場合、この意識はさまざまな弊害を生むことになります。
こういった事態を防ぐために、私は「辞書を持って歩き、思いついたらすぐに引く」という習慣を身に付けることを薦めています。これは、「わからないことがあったら後回しにせず、すぐに解決する」という勉学全般の習慣づけと通底しています。
そこで今回の講義では次の作業を行いました。
まず、彼らの使っているある教科書のある1ページをコピーし、そのうちなんとなく分からない言葉にラインマーカーで線を引きます。けっこう線が引けるもので、1行あたり2コ以上なんて人も出てきます。で、お互いにみせっこをしたりして、自分たちがいかに「わかったようなわからないような状態」で文章を読んでいるかを実感してもらいます。
次に、その言葉に辞書を引き、周囲の余白にメモをとらせます。そのとき、辞書の言葉を丸写しするのではなく、ぱっとみて分かる程度に省略をさせます。そうやって、自分が元々もっているボキャブラリーに翻訳して文意を読みとるようにしていきます。
その際、「分からないことがあったらその場で辞書を引く習慣を付けよう」と声をかけます。この看護学校の場合、かなり広い机(高校までの学校机の2倍くらいの面積がある)で席順も決まっているので、私物を置くことができます。だから、他の授業でも机の上に国語辞典を置いても、少なくとも邪魔にはならないわけです。たまたまコピーした教科書が青少年看護の本だったことから、「葛藤」という言葉が頻繁に出ていて、それを辞書で引いたりしました。
こうして、辞書を引く行為を体験したあとで、辞書を引くことそのものの楽しみを見つけていきます。
こういうときに便利な辞書が「新明解国語辞典」です。
「新明解」の語釈の独自性はつとに有名です。呉智英や赤瀬川原平が指摘するように、批評性・自己主張のある解釈を展開しており、なんというか、強い「意思」を感じさせる辞書です。2005年になって改訂された第6版でも独自路線を貫いており、有名な「恋愛」の語釈のユニークさは健在です。とくに、女の子の多い看護学校では、「熱いよね」「熱愛の世界!」といった声があがります。これに対して、「広辞苑」をはじめとする他の国語辞典類では「男女が互いにこいしたうこと」という語釈で右へならえ状態となっているため、比較する面白さを体験することができます。
それから、動物に関する表現も「新明解」はユニークです。
「動物園」の語釈はあいかわらず動物園が虐待施設であるかのような批判精神に満ちていますし、「動物的」の項目では「本能的な感覚が鋭い」という意味の他に「本能的な欲望がむき出し」という意味があったりします。また、ここの動物については食べられるかどうか、うまいかどうかといった記述が目につきます。
「食べる貝としてもっとも普通で、おいしい」ハマグリ。「普通」って…。「むきたてのハマグリを野菜などと共にみそで味を付け、煮ながら食べる鍋料理」(「はまなべ」)なんてものが紹介されていたりします。「むきたてでなければダメなんだ!」という笑い声が上がりました。おこぜにいたっては「ぶかっこうな頭をしているが、うまい。」と評価される始末。私はオコゼではありませんが、「大きなお世話だオコッタゼ!」とかわりに言ってやりたいくらいです。
…。
さて国語辞典はやっぱり新しい方がいい、ということを最後に話しました。
国語辞典は改訂のたびに新しい言葉を取り込んでいきます。2005年改訂の「新明解」第6版では「バブル景気」(例文は「バブルがはじける」!)「バブルの崩壊」といった言葉なんかが見られます。そして看護学校ならではということで、「ターミナルケア」「ホスピス」という語を読んでみました。
ターミナルケア
治癒の可能性のない末期患者に対して、延命よりも、残された人生を平穏かつ充実して過ごせるように、肉体的苦しみや精神的不安をやわらげるために行う医療。終末(的)医療。
ホスピス
回復不可能な末期癌患者を主に収容する施設。いたずらに延命のみをはかる一般の病院とは異なり、肉体的苦しみをやわらげてやり、孤独感や死の不安など精神的な悩みの相談にも乗り、平安な死を迎えさせることを目的とする。
先日まで同僚だった白頭庵さんはターミナルケア論を講義していましたが(今度の職場でもやってる?)、終末医療の問題は近年とてもクローズアップされています。それを早速取り込み、的確に表現しているように私には思えます。そして、後者の、「いたずらに延命のみをはかる一般の病院とは異なり」という表現に「新明解」の批評性が示されています。この学生たちも数年後には看護士として第一線で医療現場に立つことになります。そのときひょっとしたら感じるかも知れない葛藤はすでに国語辞典の語釈の中に表現されています。
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