This Category : ブンガク/ミシマ

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2006.12.21 *Thu

岸田今日子さんの思い出

17日に岸田今日子さんがお亡くなりになっていたことが、本日(20日)報じられました。私は、2002年11月2日、山中湖村の三島由紀夫文学館で開催された三島由紀夫フォーラムで岸田さんの講演をうかがい、閉会後のパーティで席を並べて親しくお話を伺う機会をもちました。

岸田今日子さんは劇作家・岸田國士のお嬢さんで、若き三島由紀夫と接しました。北軽井沢?の別荘に集まる作家たちの一番若手が三島で、その明るい人柄もあって兄のような気持で親しく接したそうです。文学座の舞台に立ち、三島が演出した「サロメ」で主役を演じるなど、三島演劇を語る上で欠かせない女優でした。

ところが、昭和38年に文学座の分裂騒動が起こり、岸田さんは福田恒存・芥川比呂志らと文学座を脱退、劇団「雲」を作ります。このとき、岸田さんは三島が当然いっしょに脱退するものと思い、その旨を確認して脱退に同意したそうです。ところが三島に集団脱退は伝えられておらず、三島は文学座に取り残される形になりました。

岸田さんは三島と電話で話をし、「なぜ来てくれなかったのか」と問いただしたそうです。三島は「双頭の鷲は成立しないんだよ」と答えたそうです。つまり、文学座の両輪を担う作家であった福田恒存との関係からのいきさつであった旨を岸田さんに話したそうです。三島作品に出演することを生き甲斐にしていた岸田さんは悲嘆に暮れたそうです。人の運命というものの残酷さをかんじさせる話でした。(その後、岸田さんは三島の演出で「サロメ」の舞台に立ったと記憶しています)

私が個人的にうかがったことはあまりよく覚えていませんが、印象に残っているのは、岸田國士が三島の演劇をどのように見ていたのかという点。これについて、岸田さんは、「父は、三島さんに限らず人の作品についてなにかを言う人ではありませんでした」とお答えになりました。

そのとき、私が午前中の講義で使用した「潮騒」の文庫本にサインをお願いしました。「潮騒」と岸田さんってとくに縁はないんですけどね。翌週、学生にみせたいといったらこころよくサインしてくれました。この本は私の折に触れての考察があちこちぐちゃぐちゃにメモされ、カバーは取れ角は円くなっておりますが、もう書き込みも止めます。岸田さんがお亡くなりになる前日の16日、私は「潮騒」で学会発表をいたしましたが、そのとき壇上にもって上がったのがこの本でした。

サインののち、一緒に写真に収まってくれました。私より心持ち後ろに立ち、控えめにポーズを取る岸田さん。私の腕に岸田さんの体が触れたときの、あたたかでやわらかな感触は忘れられません。気品と艶、そして謙譲の美徳を漂わせた、生粋の貴婦人でした。

岸田さんは昨年、行定勲監督の「春の雪」に出演しました。私はよく知らないのですが、あれが最後の映画出演だったのでしょうか。だとしたらよいのですが。


それからこの日は、青島幸男さん、カンニングの中島さんがお亡くなりになりました。妻はかつて「いじわるばあさん」の大ファンで、カンニング中島は35歳ということは私より若い。竹山がキて、中島さんがなだめに回っていくうち、ついに中島さんの堪忍袋の緒が切れ、突然キレに回っていく、あの芸は結構好きでした。なかなかにショックな一日です。

ご冥福をお祈りいたします。
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2006.05.17 *Wed

三島由紀夫関連文献情報

yyさんの執拗なw要請(笑)がなぜかRYOさんに飛び火、三島由紀夫に関連する文献を私に教えてくれました。ここにご紹介をもってブンガクカテゴリー一発目。

○「来ぶらり」第77号(2006年4月1日発行、学習院大学図書館)
 ・石川博康「古典という深淵と「春の雪」
               -三島由紀夫、シェークスピア、プラウトゥス」
 ・中山高二「忘れられていた三島由紀夫エッセイ」

…後者に注目。昭和23年10月に学習院演劇部が創刊したガリ版刷りの雑誌「氷山」に三島「説明役について」というエッセイが掲載されていたことを紹介しています。三島と学習院の関係を考えるよい資料になりそう。同エッセイは『決定版三島由紀夫全集別巻月報』に収録予定とのこと。

○「桜友会報」88号(2006.5.1)
 ・「三島由紀夫=平岡公威を探す」
…基本的にはOGの方の思い出話で、戦時中に学習院中等科で刊行された雑誌「清明」(1973.11.25、学習院中等科)について紹介したもの。「清明」は通読したことがありますが、文芸部を中心とした学生の自主的な創作発表の場であった「学習院輔仁会雑誌」と比べると、作文等の発表の場としての性格が強いように思います。三島は高等科の学生でしたので本来ならば参加資格はなかったのでしょうが、「先輩」という肩書きで寄稿しています。これは『学習院輔仁会雑誌』に大学や陸海軍学校に進学した卒業生の報告があったのと似ています。

いま、「ミシマ」はもっともお金になる作家の名前ではないかと思います。「春の雪」の映画化をきっかけに、いわゆる「お宝」としての注目度が高まっているだけに、母校が呼びかけをしたことの影響は大きいんじゃないかな、と思いました。

…学外の人間にはなかなか気づかない文献ですね。RYOさんありがとう。
 追伸:先日のクイズの景品、送っておきました。

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